HAPPY PLUS STOREでも登場するやいなや、あっという間に売り切れ続出し、カルト的な人気を誇っている“マディソンブルー”。今年で6年目を迎えるブランドの誕生秘話から、これからのものづくりへの熱い思いをデザイナーの中山まりこさんに語っていただきました。
今日の装いもめちゃくちゃお洒落な中山まりこさん。シグネットリングとエキゾチックレザーベルトのカルティエ タンクMCをポイントに、タイプライターのマダムシャツと黒パンツのシンプルコーディネート。足元はブラックーラインの白コンバースで軽やかに。真っ赤なネイルの手元にもしびれます!
ブランドをはじめられたきっかけは?
24歳で独立以来、スタイリストとして四半世紀がんばってきました。でもね、なぜかずっと「大人になったら何やろう」って考えていたんです(笑)。
その頃はハイブランドのスタイリングから、CMのためのおじいちゃんや主婦やOLの服までも作らなければならず、巣鴨や丸の内まで観察に行ったりしていましたよ。で、あるときあるメーカーの広告チームの人が、毎回売上の報告をしてくれて、「あ、自分の仕事の反響が、数字できちんとわかるって面白いな」と。スタイリストの仕事って直接お客様の反応がわかる機会って少ないじゃない? だから自分の打ったサーブが、直接お客様に届く仕事をしてみたいな、とそのとき思ったの。
どんなブランドにするのか構想はあったのですか?
もともと古着好き、デザイナーのスピリットをまとうのが好き、という根っからの服好きで、私自身も消費者であったわけですよ。で、私の買い方って少しメンズっぽくて、ひとつのアイテムが気にいると、素材、色違いで揃えて何年も着倒すんですが、次の買うタイミングがくると、もうその商品がなかったりしてがっかりすることが多かったの。そこでトレンドとは関係なく、“大人が普通に着られるアイテム”を今までの経験を生かして作ってみたいなぁと。
だから特別世の中にないものを作りたかったわけじゃなく、みんながよく知っている記憶にあるものをエディットし、アップデートしたい、というのが最初かな。
よくマーケティングでいう、年齢切りとか、テイスト切りとかでターゲットを決めるのではなく、26歳のサーファーから60歳のドーバーストリートで買い物するマダムまでが買ってくれるような、人に寄り添う垣根のない服を作ろうと思ったんです。
その後はトントン拍子に?
スタイリストからデザイナーに転職するのだから一大決心した?ってよく聞かれるけれど、ガラっと人生変わるわけではなく、好きな服が軸になっているので、そんなに大変じゃなかったですね。とにかく50歳になるまでにスタートしたいとと思っていたので。最初にシャツ6型で始めると決めたときは半年もなかったですね。
ずっとずっと長い間鍋の底をじ〜っと見ていた感じで、このタイミングだ!と踏み切ったわけだし(笑)。でもスタイリストだったので、プレスまでしか人脈はなく、その先のものづくりの人たちの人脈はなかったんです。
でも、作りたい!という私の燃えたぎる強い思いに賛同してくれる人たちに支えられて、紹介してもらい、パタンナーさん、生地屋さん、工場さんとのよい出会いに恵まれて、すっと決まっちゃったの。本当にありがたいことです。
そしてブランド名をつけるわけですが。 どうしてマディソンブルーなのでしょう?
それは、ニューヨークのマディソンアベニューでの強烈な体験がベースになっているから。スタイリストをしていた途中2年半ぐらい、89年ぐらいかな、23、24歳の頃、ニューヨークにいました。
ちょうど私が行く1年前にバスキアが亡くなり、私が行った年にキース・ヘリングが亡くなり、ダウンタウンの一番熱かったアートやカルチャーを身体で感じたかったのに、それがなくなっちゃった変動の時代ですね。
一方でコンサバなものも好きだった私は、マディソンアベニューにあるRALPH LAURENの館へ行き、乗馬スタイルにドレスにプレッピーなポロシャツに子供服、家具にテーブルウエアに…とあの洒落たファミリー感や上流階級的ライフスタイルに圧倒され、すべてが素敵すぎて腰が抜けそうになったの!
さらに、そのマディソンアベニューを歩いていた12月の寒い季節に、ちょっと日焼けしたミニスカートをはいたマダムがベビーカーを押していてね。手にはスーパーの袋とシャネルのチェーンバッグをWで持っていたのね。
89年の日本にはそういうライフスタイルはなかったから、もうひっくり返りそうになって。「うわ、出た!このアッパーなライフスタイル!! かっこい〜〜!!!」と(笑)。
そう、あのマディソンアベニューのマダムとRALPH LAURENの豊かなライフスタイルが、今の服作りにすごく役立っているんです。
素敵なのはファッションでなくスタイルの提案なんだってことを。だからマディソンという言葉をどこかで使いたかったんです。
ブルーは大好きな海とお守りみたいに身に付けていたターコイズから。
大好きな2つを合わせたのが「マディソンブルー」です。
デザインはどのように決められるんですか?
最初デザイン画を描いていたんですが、2期目からは生地を見てから何をつくろうか決めるようになりました。
私、やっぱり生地が好きなんです。パタンナーさんと生地見ながら、トワルを組んで、イメージを伝えて行く感じで。ウチのパタンナーさんたちはマニアックな人が多くて、生地もっていくとみんなワクワクしてくれるの。
生地はどちらのものを使っているんですか?
最初は日本の生地だけでしたが、今は縁あってイタリアの生地屋さんと知り合ったので、半々ぐらいかな。日本には日本、イタリアにはイタリアのよさがあります。
イタリアは何十年も前から織機が変わらなくて、母のクローゼットを見ていたときのような60年代風の生地がいまだに作れるんです。ニュアンスのあるツイードとか、あえてフシを生かしたリネン×シルクの混紡とか、日本にはないことができるんですね。だから生地がとにかく昔っぽいの。60年代が大好きなんで、そういう生地に反応しちゃうのね。
逆に日本は、アメカジ文化が強かったから、昔のシアーズのリプロみたいなシャンブレーとか軍モノが、すごく上手なんです。ウチで使っているオックスフォード生地も、ブルックスブラザーズが最初に使ったダンリバー社の生地をリプロしたり、そういうのは日本でしかできないのね。だから日本、イタリアのそれぞれいいところを使い分けています。
すでに250品番もラインナップがありますが、最初はどのようにはじまったのですか?
最初はシャツ6型ではじまり、二期目で今の軸となっているエッセンシャルのラインが誕生しました。
ウチのエッセンシャルラインというのは、毎シーズン発表するアイテムの中から、人気の定番アイテムを、シーズンを超えてスタンダードになっていったアイテムを指します。
そうしたアイテムは、色や素材を変えて何度でも登場します。
それが「マディソンブルー」の基本的ラインナップ「エッセンシャルライン」となっています。
例えばこのワークシャツも二期目から継続していて、素材のバリエーションは約40型ぐらいあります。
麻でつくるとぜんぜん違うし、シースルーにすれば、ぐっとエレガントになるし。それが洋服の醍醐味なんですよ。
スタイルを変えるのではなく、素材を変えるだけでまるで別の顔になります。
三期目につくったマダムシャツも、最初は売れなかったのですが、徐々に人気となり、今やワークシャツより売れています。
定番のタイトスカートも、おばさんになるとお腹が出るから履かない人多いでしょ? でも私は若い頃から丸みのあるお腹で履く方が素敵と思っていたので、逆にお尻を小さくしてきゅっとしめて、ウエストはシェイプせずに、お腹は丸く見せるよう、ポッケもわざと開くようにデザインしました。
そうするとドレッシーすぎずカジュアルになるでしょう? こんなワークシャツと合わせるとかっこいいんですよ。
デザインする上でこだわっている部分は?
シルエットですね。シルエットに関しては、ボディにに頼らず、トワルチェックはすべて自分でやりヌードサイズでモノを作らないようにしています。
自分が実際着て、シルエットやバランスを決めています。
例えば、ジャケットも、自分がスタイリストしていたときに、携帯持って、スケジュール帳をくるくるとポケットに入れて、ペットボトルが入るジャケットが欲しくてデザインしました。
ところが、メンズの人曰く、本当のジャケットのセオリーでいうと、ポケット位置がもっと前なんですって。でもこの位置でポケットに物を入れるとかっこ悪いから、脇のラインのギリギリ後ろに持っていってもらったの。この位置ならものを入れてもきれいなんです。フラップポケットが物を入れてめくれ上がってるのも可愛いな、と。
デザインするときは、着たときのバランス、動いたときの美しさはどうか、そういったことを常に考えています。
もうひとつ、私が小柄なので、バランスに気をつけてコーディネートしています。例えば、鏡を見て、ふんわりスカートなら、トップスがタイトな方がいいな、とか。
とにかく、バランスを一番大切にしています。
2020秋冬コレクションでおすすめを教えてください。
シャツ
ワークシャツの顔をして、身幅はマダムシャツという、ウチのヒット商品のハイブリットのシャツです。大好きな70年代のファッションを見ると、シャツのカラーが低くて、そこからネックレスが覗いているのが印象的だったので、ワークシャツの襟をぐっと低くして、ジャケットと合わせられるようにしてみました。
ニットワンピース
このニットワンピースは分量が決め手。「もうこれ以上広がりません!」とニット屋さん泣かせのシルエット(笑)。フレアの筒感を出すのに、ダブルフェイスで作ってもらい、ニットなのにシルエット重視。布帛のような感覚で、ニットの概念とはまったく違うんです。これは先染めで黒もカーキもきれいに出ました。
首元もコンパクトで、その方がカジュアルでかわいいでしょ? 私は、ギュッと詰まった丸襟って、好きなんです。中途半端が嫌いなの。出すならドンと、隠すならぎゅっと。40歳過ぎてからの丸首の加減が難しいというか。空きすぎていると、すごくだらしなくなるじゃない。それに私はペンダント系のネックレスが好きなので、詰まった襟の方が似合うんです。
今回も60年代がイメージソース。やっぱりデザインする上で、60〜70年代ファッションが自分の根底にあるんですね。
ショートブルゾン
キルティングのショートブルゾンは今回がはじめて。これも生地から、中綿まで選んで、大きなダイヤ柄にしたのもこだわり。同じ素材でフレアスカートもありますが、こちらは小さなダイヤ柄。これならセットアップで着ても素敵だし、大きさ違うでリズムも生まれるでしょ?
シースルーの黒いブラウス
シースルーが大好きで、日本だと難しいけれど、ヨーロッパでは気にしないでしょ? 私は“ラペルラ”の下着に出会い、思い切りシースルーのブラウスが着られるようになりました。
これは黒いフレアスカートと合わせて、新しいLBD(リトルブラックドレス)っぽく着ようかなと。今までのようにワンピースでなく、単品同士のLBDを提案がしたかったの。もちろん、デニムとか、黒いフレアパンタロンとかも似合いそう!
黒いギャバシャツ
こちらの黒いギャバのシャツは、ジャケット風に着るのはどうかしら? 下にニット入れて、一番上だけボタン留めて、タイトスカートとかパンタロン合わせたらかっこよいでしょ?
襟を立てて、一番上だけ留めるのってなんか好きなのね。ペンシルストライプのパンツとかも合いそう。
本当におしゃれは着方ひとつです。
チェックのチェスターコート
このオリジナルのバッファローチェック、いいでしょ〜?
なんか、私たちの上の世代ってアメカジで育っているから、バッファローチェックとかって懐かしくて喜んじゃうの。
これは、ダブルフェイスなので、チェック柄もしっかり合わせてきれいに、既成のボタン使わずにボタンもちゃんと染めたところがこだわりです。
肩のラインも女っぽく、上半身もゆったりめにして、ウエストを細めにしました。襟立てるとトップが若干余裕があり、ウエスト位置がピタっとくると、これがいいんですよ〜!
アーミージャケット
カジュアルすぎるかな?と思って作ったけど、評判いいんですって、このアーミージャケット。
だって、これイメージソースはM65という米軍ジャケットで「タクシードライバー」よ?(笑)
私はこれに、ふわっとしたドレスやミニスカートで着るのが好きなんですよ。
最近Parisに行くようになって思ったんですが、雨がしとしと降っているときに、傘をささずこういうジャケットをパっち羽織って、雨の日もこれ1枚で歩いちゃおうみたいなのってかっこよくない!? カーキの色も明るくていいでしょ? コットンナイロンで軽いし、ほどよく艶があるから本気すぎないし。
あえてパールすると可愛いよね。Tシャツにジーパンでもいいよね。きゃ〜うっとり!!!(笑)
黒ステンカラーコート
この黒いステンカラーコートは、ウールギャバのしっかりした厚手の生地です。程よい落ち感が縦長シルエットですっきり見えるんです。
ベルト位置やウエスト位置を高くして、スリットも入れてドレッシーに仕上げました。それでいてディテールは本格的なつくりで、ミリタリーを踏襲し、ポケットの下から手が出るのよ。
はじめお客様はびっくりされるんだけど、手を掛けられるし、内側にポケットもあるし機能的なんです。
ロゴT
「夏が突然。。。」というのを秋冬に着るってなんだか洒落ているでしょ! おかしいでしょ!! (笑)。
このフォントは60年代のもので、懐かしいの。やっぱり遊びがないとダメだよね、基本、洋服なんて遊びですよ。洒落て着るもんだから。遊びがないと洋服じゃないと思う。
シャツとかも、パっと襟立てたら裏にメッセージが入っていたり、そういうの好きなんだよね。気分も上がるし。
コロナ禍で以前と変わったことはありますか?
ウチはもともとセールをしないし、好きで欲しいと言ってくださる方にお届けできればよい、というスタンスではじまっているので、その姿勢は変わらず、コロナ禍になってもこわくなかったし、今も淡々とやっています。
ただ、ものづくりに関しては非常に危機感を持っています。というのは、今回のことで、縫製工場、生地屋さんが厳しい状況にしいられています。
工場さんがあっての服作りだし、工場さんに私たちも貢献できるようなものづくりをしなくちゃいけないと思うんです。例えばこのシャツも6年作り続けていますが、同じものを作るって工場を守ることに繋がります。
今年はたくさん発注し、次の年はゼロというのは絶対にやっちゃいけないこと。もっとロングランの品物を作らなければと強く思いました。
これはコロナがなくても変わらない考え方ですが、たくさん作るんでなく、ちゃんとしたものを作ること。作り手がいるから、私達がいる、ということをきちんと考えてやっていかないと、守っていかないと…と。コロナでなくなっている工場も多々ありもう泣けてきました。
ウチの服は安くはないけれど、ちゃんとしたいい服を買うことは、いい職人さんを支えていくのだと、勘のいいお客様はわかってくださると思ってきましたが、やっぱり声を大にして言いたいし、お客様を守る=工場を守るに繋がるんですね。
今まで言ってこなかったことをちゃんと言葉にしていくべきなんだなと痛感しました。今後は、ウチのブランドの意思を、より多くの人に伝えていけたらと思っています。
撮影/岡本卓大 文/土橋育子 構成/内山しのぶ